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Last Decade

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2006年 02月 06日

リオデジャネイロ

長い、実に長かった。成田を出発してから数えると4回もの機内食を食べたことになる。日本を発ってすでに30時間近くが経過しており、やはり地球の裏側まで来るのは容易ではなかった。しかもまだサンパウロにいた。ニューヨークからリオデジャネイロに行く直行便はなく、一度サンパウロを経由して向かわなければならなかったからだ。数十分のトランジットと35分の短いフライトの末、本当にようやくリオデジャネイロに到着した。サンパウロであらかたの乗客は降りてしまったので、ここまで来た人は本当に少なかった。それもあってか、入国審査も開いている窓口はひとつだけで、ゆっくりと進んでいき、やる気のない審査官がインクの薄い入国印を押してくれた。ゲートを出てみると、空港は人気も少なく閑散としていた。白タクの運転手らしき男たちがたむろっている以外は、到着した乗客は自分の家族や知り合いの迎えで次々とターミナルの外へ出ていった。確か街に出るには空港バスがあったはずだが、それが出発する場所がわからなく、インフォメーションカウンターにも誰もいなかった。そこでひとつ上の階の出発ロビーに上がると、ようやくカウンターに人がいたが、英語で話しかけてみてもそれが通じない。どんな国でもさすがに空港ではそんな経験はなかったので驚いたが、なんとか身振り手振りで伝えると、ようやくカウンターの女性もわかってくれたようで、わざわざバスの停車場まで連れて行ってくれた。

リオデジャネイロ_c0049109_22584992.jpgバスに乗ることはできたものの、今度はどの辺りで降りるべきなのか考えなくてはならない。リオデジャネイロ国際空港は街から15キロほど離れた場所にあったので、30分もすれば街中には入っていくことになる。それまでにある程度、地図と外の景色を見比べて、自分のいる場所を把握する必要があった。予想したとおり、だいたいそのくらいの時間で旧市街らしき場所に入り、今度は海沿いの通りを走り始めた。海岸と道路の間にある砂浜や空き地ではサッカーボールを蹴っている集団がいくらでもいて、ブラジルに到着した気分が盛り上がってきてもおかしくないのに、とにかく今はどこで降りるか必死でそれを見ている余裕はなかった。それでもなんとなくこの辺だろうと目星をつけたフラメンゴ海岸あたりで運転手に告げてバスから降りた。場所によっては治安が良くないと書いてあったので、少し警戒したがまだ日も高く、危険な雰囲気はなかった。運がよかったのか偶然か、バスを降りた場所は泊まろうと思っていたホテルのすぐ近くで、5分ほどでそこに着くことができた。それにしても、ここまでですっかり汗だくになっていた。南半球で2月といえば真夏で、それもリオデジャネイロの日差しは猛烈にきつく、海から来る湿った空気がさらに不快指数を上げていた。泊まる場所も本当はユースホステルにしたかったが、日本から予約を入れたら、あいにく満室で泊まれなかった。そこでロンプラに掲載されていたこのホテルにしたのだが、観光地料金のためか1泊20ドル近くしたが、シングルでバス・トイレにもの凄い音を立てるエアコンもついていたので悪くはなかった。ホテルのあるカテーテ地区セントロと呼ばれる旧市街とイパネマ・コパカバーナ海岸のビーチに挟まれた中間に位置していて、地下鉄やバスの便が良かった。

さっそくその地下鉄でセントロまで出てみた。カリオカいう駅が中心だったが、ガイドブックに書いてあったほど治安が悪い印象を受けず、人通りも激しく賑やかだったがマーベラスシティと呼べるほどでもない。ただリオデジャネイロ最大のカンデラリア教会からその先のグアナバラ湾は素晴らしく、かつてはブラジルの首都として栄えたことを窺い知ることができた。だいたい土地勘がでてきたので、両側に商店が並ぶリオ・グランデ大通り米ドルを両替し、夕食用にサンドウィッチと飲み物を購入するとホテルに戻り、シャワーを浴びるとやはり長旅の疲れか眠気が襲ってきて、まだ旅も始まったことだし、無理することもないので、夕食後はすぐに横になった。とにかくブラジルまでは来ることができた。

by gonburimo | 2006-02-06 22:59 | South America 1998


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