2006年 03月 16日
ラパスは本当に坂が多い街だった。盆地の形をしているから当たり前だが、宿から街の中心まで行くのもかなりの坂道を下っていく感じだった。その中心にある旅行会社でプーノ行のバスチケットを購入した。最後の国であるペルーにはバスで入ることにした。その後、メインストリートの7月16日通り を歩いていくと、サンフランシスコ寺院 の前に出た。ここから伸びる坂道が有名なサガルナガ通り で、まさにラパスの下町といった感じで、数え切れないほどの露店が並び、そこではインディヘナ の女性があらゆる物を売っていた。ボリビアは南米の中でも特にインディヘナ や白人との混血であるメスティソ が人口の多数を占めている国で、街を歩いていても本当にそれが実感でき、イタリア系やスペイン系が多いアルゼンチンやチリから来たので、それが余計に目立った。 一度、宿に戻るとそこに泊まっていた日本人に動物園 に行かないかと誘われたので、付いていくことにした。その前にサンミゲール地区 という高級住宅街に寄っていった。朝に歩いたセントロに較べると街並みも整然としていて、同じ国とは思えないほどお洒落な雰囲気が漂っている。なぜここが高級住宅地かというと、ラパス内で一番標高が低い場所であるからだった。普通、高級住宅地とは中心地から離れた高台の上にあったりするものだが、標高が3000mを越すこのラパスでは逆に低い場所こそが高級な地域となり金持ちが住んでいるのだった。その後、タクシーで動物園 に向かった。入場料が3ボリビアーノだから100円もしなかったが、ここに来たのはアンデス だけに生息する珍しいリャマ とアルパカ が飼育されていたからだった。良質なセーターの毛としても使われるほどだが、このラクダ科の動物はほぼ放し飼いのような状態で飼育されていて、現地の人は持ってきた餌を与えたりしていた。そして、やはりアンデス にはかかせないコンドル も飼育されていて、さすがに檻には入れられていたものの、土地があり余っているせいか檻は必要以上に大きく、しばらく見ているとコンドル が羽を広げて飛び立つところも見ることができた。その他にもピューマ など日本ではあまりお目にかかれない動物がけっこういて、値段からいえばかなりお得な動物園だった。 帰りに月の谷 という場所に寄りながら宿に戻った。南米にはなぜかこのような日本人が経営する日本人宿 が多かった。サンパウロやリマの他にもチリや中米などにもあるようだった。中南米以外にも日本人の溜まり場と化している宿はいくつかあったが、経営しているのは現地人ということがほとんどだった。この日も夕食に日本食が出て、一緒に泊まっていた人たちと食べていると合宿所にいるようだった。 #
by gonburimo
| 2006-03-16 23:33
| South America 1998
2006年 03月 15日
朝5時前にはユースを出たが、まだ辺りは真っ暗で少し緊張しながら空港行バスがでる大通りまで歩いた。珍しく定刻どおりにバスが来て、1時間もしないうちにアルトゥール・メリノ・ベニテス国際空港という長い名前の空港に着いたが、その時でもまだ空は暗いままだった。建物自体は小さかったが、造りはなかなかモダンで少し驚いた。出発掲示板を覗くと、当然だが南米や北中米の都市へのフライトがほとんどながら、中にはヨーロッパへの直行便も数便出ているようだったが、日本に乗り入れていない航空会社が多く、それを見ているだけで楽しめた。簡単な出国審査を済ませると、搭乗ゲートの前には予想よりは大きめの飛行機が停まっていた。このランチリ航空のラパス行は途中にチリ北部のイキケとアリカに寄りながら向かう便で、そのため値段が直行便よりは多少安かった。飛び立つ時刻になって、ようやく空が明け始めてきた。 地図で見ればわかるようにサンチアゴとイキケはだいぶ離れているが、イキケとアリカは300キロほどしか離れていないので、イキケを飛び立つと水平飛行に入るかは入らない前にアリカに着陸を開始した。これは飛行機自体が小さいからできるのであって、ジャンボ機では距離が短すぎると飛べないとどこかで聞いたことがある。アリカからラパスまでのルートはちょうどアンデス山脈を横切る形になり、幸いにも雲もなく晴れ渡ってくれたせいか窓から雄大な景色を眺めることができた。そんな景色を楽しんでいると、いよいよラパスに着陸するとのアナウンスがあった。ラパスは標高3650mにある世界最高所の首都だが、その空港はさらに高い4000mの所にあった。チリと較べると国力の差なのか空港もどこか田舎の雰囲気を残していた。街まではタクシーで行くこととなったが、かなりの下り坂をそれもおばさんが運転する古い車で行くのはなかなかスリリングな体験だった。 このラパスで泊まろうと思っていたのはトキゲストハウスという有名な日本人宿だった。街の中心から少し坂道を上がった場所にあるそれは防犯対策の為か入口もわかりづらくひっそりとしていた。階段を上がると、オーナーの鳥海さんが迎えてくれたが、噂どおり宿の説明をとても丁寧な言葉使いでしてくれるのだが、その間1回たりとも笑わず、さらに渡された一枚の紙にはこの宿での決まりごとというかルールが細かな字でびっしりと書かれていたので緊張した。数台のベッドが並んだ部屋に入ると、すでに何人かの先客がいたが、誰もが快く挨拶をしてくれて雰囲気は良さそうだったので、ここに泊まることにした。ラパスに入って一番恐れていたのは高山病だった。本来なら時間をかけて徐々に高度を上げてくるはずが、ほぼ海抜ゼロのところから飛行機で4000mのところまで来てしまったので、急に動いたりするのは危ないとのことだった。その高山病を防ぐには初日はじっとし、また水を沢山飲んだほうが良いと書いてあった。ただし、まだお金も両替さえしておらず、宿にいても仕方がないので、ゆっくり歩きながら坂道を下って街に出た。 昼時ということもあり、ほとんどの両替所が閉まっていたが、なんとか一軒だけみつけて50$だけ両替し、郵便局で絵葉書を買った後、適当な食堂でサンドウィッチを食べた。朝早く眠くなったので、今度はバスで宿まで戻り昼寝をした。昼寝から目覚めると、もう夕食の時刻だった。夕食は宿代にも含まれていて、その日によって違ったメニュー、それも日本食が提供された。この日は酢豚だったが、数日前までパンとチーズを食べていたので、体がびっくりしないか心配だったが、どうやら無理せずに昼寝などもしたせいか、恐れていた高山病にはならずに、体の具合も良かった。 #
by gonburimo
| 2006-03-15 23:57
| South America 1998
2006年 03月 14日
サンチアゴで賑やかな場所といえば、毎日のように出歩いていた旧市街とは別に、地下鉄で数駅行った場所にあるプロビデンシア地区もそのひとつだった。ここは歴史的な建物が多いセントロとは対照的に、ビル群や比較的新しいショッピングモールなどが集まる新市街となっていた。ちょうど地下鉄の上を通るプロビデンシア通り沿いにそういったおしゃれな店が集まっていて、ユース周辺ともまた雰囲気はがらりと変わっていた。そんなプロビデンシア地区を歩いている人々を眺めているだけでもいい時間つぶしにはなるが、チリに来て感じたことは、チリ人女性の美しさだった。よく南米を旅行していて聞く言葉で中南米三大美女産地として3Cというのがある。Cとは国名の頭文字で、チリ(Chile)・コロンビア(Colombia)そしてコスタリカ(CostaRica)の三カ国を指している。それだけチリ人女性の美しさというか可愛らしさは目を見張るものがあった。ただ南米を旅していて思ったことだが、チリだけでなく、それまで通ってきたブラジルにしろ、アルゼンチンにしろ、女性の美しさといえば総じて高かった。それは外見だけでなく、彼らの親しみやすい性格にも一因があるようで、別に女性に限った話ではないが、男性も含めて南米ではいろいろと世話焼きの人が多く、温かい気持ちになることが多かった。それだけに、そんな時悔やまれるのは言葉の問題だった。もしスペイン語が英語やドイツ語並に話すことができたら、親しみやすい彼らともっと仲良くなることができただろう。 この新市街に来たのは、別に美しい女性を見に来たわけではなかった。新市街のすぐ裏手には高級住宅街が広がっていたが、その中には各国の大使館がいくつか存在していて、日本大使館もあり、そこでは無料で日本の新聞が読めるとのことだったので、暇つぶしに来てみただけだった。噂どおりに日本の新聞は置いてあったが、それは数週間も前のもので、新しい新聞を読もうと思った目論見は見事に外れてしまったが、考えてみればホテルのような施設ならともかく、税金で賄われている公共機関にそんなサービスを求める方がおかしいといえた。大使館を出てまたプロビデンシア通りまで戻り、そこを渡って高級住宅街を抜けるとサンクリストバルの丘に上るロープウェイ乗り場に出た。これに乗っていくと、頂上にマリア像を抱えた展望台があって、サンチアゴの全景を見ることができたが、残念ながら排気ガスによるスモッグが激しくて、あまり視界は良くなかった。帰りは旧市街の方へ降りるケーブルカーに乗った。終点のすぐ近くにマポチョ川が流れていて、その川沿いを歩いて行くと中央市場に出た。こんな感じで、サンチアゴでの最終日をゆったりと過ごした。 #
by gonburimo
| 2006-03-14 22:23
| South America 1998
2006年 03月 13日
サンチアゴのユースは至極便利な場所にあった。一国の首都であるから、サンチアゴ自体はかなりの広さになるであろうが、旅行者が見てまわる場所は他の都市同様に旧市街周辺に集中していて、ユースからその旧市街までは充分歩いていける距離にあった。碁盤の目のようになっているので、ユースから東へ歩いていけば両替をしたアメックスのオフィスにあたり、そのまま進むと大統領府であるモネダ宮殿の前に出る。宮殿は独立広場という芝生のある広場に面しているので、そこに座って時間をつぶすのが日課になっていた。独立広場の横にはカレラホテルという超高級ホテルがあり、そのロビーは一見の価値がある豪華な造りで、用もないのに立ち寄ってトイレを借りるなどと重宝した。宮殿を通り過ぎると歩行者天国のアウマダ通りに出て、旧市街の中心で中央郵便局のあるアルマス広場はこの通りを北に進んだところにあり、その他にも市庁舎やカテドラルが面していた。そしてもっと北へ行くと、台所と呼ばれる中央市場とチリ・カトリックの総本山であるサント・ドミンゴ聖堂があり、おおよそこの周辺をまわるのに2時間もあれば充分といった感じだった。 この日、次の目的地であるボリビアまでの航空券を買うつもりである旅行代理店を訪ねた。チリからボリビアに入るにはサンチアゴからバスで北に向かい、アリカからボリビアに入る鉄道ルートがあったのだが、その鉄道が水害かなにかで動いていないとの情報があり、その代行のバスも運行されているのかどうかさえわからなかった。すると、ボリビアのラパスまでは飛行機で行くしか選択肢はなかった。旅行代理店でラパスまでの値段を聞くと、だいたい200$前後で、その中でも一番安いものが朝早くに飛び立つランチリ航空のものだった。朝早いのは全く苦にならないので、2日後の便を予約した。これで次なる目的地であるボリビアまでの足も確保できたことになり、日程もここまでは順調にこなし、予算の方も思っていたよりは出費を少なくすることができた。 夕食はユースで取ることにした。朝食を提供するユースは多いが、夕食となるとその数は極端に少なくなる。自分が知っている限りでは、確かブリュッセルにあったユースは夕食もさることながら、館内にはバーも併設されていて、ベルギーらしくいろいろな種類のビールを飲むことができた。それ以外だと、ドイツにあるいくつかのユースで夕食をとった記憶はあるが、それがどこだったのか忘れてしまった。夕食後、そこに泊まっていた何人かの旅人と無駄話をしていると、これまででどこのユースが一番良かったかという話に突然なった。思えばこれまでにオフィシャル・アンオフィシャル問わず、かなりの数のユースに泊まってきたのは確かだったが、そう急に問われてもなかなか思いつかなかった。イギリスのハワースにあった古い邸宅を改造したユースは、広い部屋に眩しいほどの陽光が入り込み、実に気持ちよかった。ドイツにあるユースはどこも清潔感にあふれていたが、その中でも古城を改造したニュルンベルクのユースは迷路のような館内が面白かった。ワシントンDCのユースもその立地と清潔さではなかなか居心地の良いユースのひとつと言えるだろう。というように、オフィシャルだけでもかなりの数になり、ただ単にドミトリーのある宿や、物価の安い地域などでお世話になった安宿も含めると、本当にこれまで数え切れないほどの宿を転々としてきたことが思い出された。結局、その時もどこか一番良かったという話よりは、ここはこんなところが良かったというような優劣の決められない話で終わってしまった。今思えば、サンチアゴのユースもなかなかの施設だった気がする。 #
by gonburimo
| 2006-03-13 23:31
| South America 1998
2006年 03月 12日
朝、2人をバスターミナルまで見送った。短い間だったが、時間では計れない濃い内容だっただけに、やはり少し寂しい気持ちがした。お互いに住所の交換はしたが、おそらく二度と会うことはないだろうという気がしたし、もし会ったとしてもチリでこんな体験をすることはないに違いなかった。2人を見送った後、ユースに戻ると日本人がテレビルームにいた。このユースに着いた時から感じていたことだが、サンチアゴのユースには思いのほか日本人の旅行者が多く滞在していて、それも時期的なせいか卒業旅行の人が多かった。その中の2人がこれからサンチアゴから100Kmほどの場所の海辺のリゾートであるビーニャ・デル・マルまで行くというので、一緒に行くことにした。バスターミナルからは5分ごとにビ-ニャ行が出ていて便利だった。 2時間ほどで到着し、さっそく有名なビーチを目指した。ガイドには、オンシーズン中は多くの観光客で賑わっていると書いてあったわりには、砂浜は閑散としていて寂しい。靴と靴下を脱いで、少し海に入ってみたが水温が低くて、とても泳げるような感じではなかった。ただ、人がいない方がかえってゆっくりできて、砂浜に寝転んで空を見上げていると、自分がチリにいることが信じられなくなってきた。地元に住んでいる家族連れなのか、小さな子供が水着に着替えて海に果敢にも飛び込んでいった。付き添いのお爺さんも一緒に入っていったのだが、平和な光景とは裏腹に、この寒さの中で大丈夫だろうかと余計な不安を覚えた。ビーニャにはなぜかモアイ像が置いてある考古学博物館があり、その前で写真を撮ったりしていたが、することもなくなったので、戻ろうとすると、反対側から高校生らしき女の子たちの団体がやってきたが、その中にいた東洋系の顔をした1人が突然我々に日本語で声をかけてきた。声を掛けられたこちらの方はびっくりしたが、少し話したところによると、彼女は国連の留学制度を利用して1年間チリに留学しているらしいのだが、まだチリに着いたのは1週間前だという。つまりこれから1年間の留学生活が始まるので、まだスペイン語もほとんど話せないようだった。それでもすでに数人のチリ人のクラスメートと友達になって一緒に行動していた。大学生ならまだしも、高校生でそれも何の縁もなく、これといった理由もなく選んだチリに1人で留学している彼女のことが自分にはなぜか眩しく見えた。無事に1年の留学を終えて帰国できるよう挨拶をして、またバスターミナルに戻った。 ビーニャのすぐ近くにはバルパライソという港町もあった。リゾート地のビーニャに較べると、バルパライソはよく言えば庶民的、悪く言えば治安が少し悪い雰囲気の街だった。その風情が最もよく表れているのが中心にあるプラット埠頭とソトマヨール広場で、船員を相手にした雑貨屋や土産物屋もいくつかあった。せっかく港に近いのだからと、市場に近い魚介料理専門のレストランに入った。食べたのはもちろんチリ名物の魚貝類がたっぷり入ったスープ、ソパ・デ・マリスコスだったが、熱々のスープはいろいろな具から出ただしがきいていて本当に美味しかった。胃が小さくなっていても、このスープだけは残すことなく平らげた。ユースに戻って、話し込んでいると時計の針は夜中の12時を指していた。ちょうど地球の反対側にある日本は昼間の時間だったので、自分が通っていた大学事務所に国際電話をかけた。実はこの日、正式に卒業できるかどうかが決定し発表される日だったのだが、問い合わせると無事に卒業できることがわかった。すかさず4月から働く会社の人事部にその旨を伝えるため、電話をかけなおしたが、遠く離れているわりには、それほど電話口でタイムラグを感じさせず、すんなりと報告は終わった。もしかしたら、これが国際電話だと向こうは気づいていたかもしれないが、よもや南米のチリからかけてきているとは決して思っていなかっただろう。 #
by gonburimo
| 2006-03-12 22:21
| South America 1998
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