Last Decade

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2006年 03月 12日

サンチアゴ 三日目

朝、2人をバスターミナルまで見送った。短い間だったが、時間では計れない濃い内容だっただけに、やはり少し寂しい気持ちがした。お互いに住所の交換はしたが、おそらく二度と会うことはないだろうという気がしたし、もし会ったとしてもチリでこんな体験をすることはないに違いなかった。2人を見送った後、ユースに戻ると日本人がテレビルームにいた。このユースに着いた時から感じていたことだが、サンチアゴのユースには思いのほか日本人の旅行者が多く滞在していて、それも時期的なせいか卒業旅行の人が多かった。その中の2人がこれからサンチアゴから100Kmほどの場所の海辺のリゾートであるビーニャ・デル・マルまで行くというので、一緒に行くことにした。バスターミナルからは5分ごとにビ-ニャ行が出ていて便利だった。

c0049109_22213854.jpg2時間ほどで到着し、さっそく有名なビーチを目指した。ガイドには、オンシーズン中は多くの観光客で賑わっていると書いてあったわりには、砂浜は閑散としていて寂しい。靴と靴下を脱いで、少し海に入ってみたが水温が低くて、とても泳げるような感じではなかった。ただ、人がいない方がかえってゆっくりできて、砂浜に寝転んで空を見上げていると、自分がチリにいることが信じられなくなってきた。地元に住んでいる家族連れなのか、小さな子供が水着に着替えて海に果敢にも飛び込んでいった。付き添いのお爺さんも一緒に入っていったのだが、平和な光景とは裏腹に、この寒さの中で大丈夫だろうかと余計な不安を覚えた。ビーニャにはなぜかモアイ像が置いてある考古学博物館があり、その前で写真を撮ったりしていたが、することもなくなったので、戻ろうとすると、反対側から高校生らしき女の子たちの団体がやってきたが、その中にいた東洋系の顔をした1人が突然我々に日本語で声をかけてきた。声を掛けられたこちらの方はびっくりしたが、少し話したところによると、彼女は国連の留学制度を利用して1年間チリに留学しているらしいのだが、まだチリに着いたのは1週間前だという。つまりこれから1年間の留学生活が始まるので、まだスペイン語もほとんど話せないようだった。それでもすでに数人のチリ人のクラスメートと友達になって一緒に行動していた。大学生ならまだしも、高校生でそれも何の縁もなく、これといった理由もなく選んだチリ1人で留学している彼女のことが自分にはなぜか眩しく見えた。無事に1年の留学を終えて帰国できるよう挨拶をして、またバスターミナルに戻った。

ビーニャのすぐ近くにはバルパライソという港町もあった。リゾート地のビーニャに較べると、バルパライソはよく言えば庶民的、悪く言えば治安が少し悪い雰囲気の街だった。その風情が最もよく表れているのが中心にあるプラット埠頭ソトマヨール広場で、船員を相手にした雑貨屋や土産物屋もいくつかあった。せっかく港に近いのだからと、市場に近い魚介料理専門のレストランに入った。食べたのはもちろんチリ名物の魚貝類がたっぷり入ったスープ、ソパ・デ・マリスコスだったが、熱々のスープはいろいろな具から出ただしがきいていて本当に美味しかった。胃が小さくなっていても、このスープだけは残すことなく平らげた。ユースに戻って、話し込んでいると時計の針は夜中の12時を指していた。ちょうど地球の反対側にある日本は昼間の時間だったので、自分が通っていた大学事務所に国際電話をかけた。実はこの日、正式に卒業できるかどうかが決定し発表される日だったのだが、問い合わせると無事に卒業できることがわかった。すかさず4月から働く会社の人事部にその旨を伝えるため、電話をかけなおしたが、遠く離れているわりには、それほど電話口でタイムラグを感じさせず、すんなりと報告は終わった。もしかしたら、これが国際電話だと向こうは気づいていたかもしれないが、よもや南米チリからかけてきているとは決して思っていなかっただろう。
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by gonburimo | 2006-03-12 22:21 | South America 1998


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