Last Decade

gonburimo.exblog.jp
ブログトップ
2006年 03月 01日

サンチアゴ

もう季節は3月に入っていた。日本でいえば9月にあたるのだろうが、朝晩の冷え込みは北上し続けても激しく、キャンプ生活もそろそろ終わりにしたいと感じるようになっていた。この日もひたすらに海沿いの道を進んでいった。途中に砂浜とは呼べないような海岸があると車を乗り入れて彼らは海に入っていくが、波は相変わらず高く、とてもこちらは泳ぐ気にもならなかった。オーストリアは内陸国、ドイツ北海に面していてもエルリッヒは最も南部に位置するバイエルン出身であり、彼らにとっては海で泳ぐという行為は、海に囲まれて育った日本人である僕にはわからない特別なことなのかもしれなかった。その後、クリコという街で本当に久しぶりの外食をした。ただ彼らふたりからはサンチアゴに行けば嫌でも外食ばかりになるのだから、ここで何も食べなくてもというようなことを言われた。それはごもっともな意見ではあるが、ここ数日は温かいものと行ったらインスタントスープぐらいだったので、妥協は許されなかった。これはゲルマン民族 だけにいえることかもしれないが、彼らは切り詰めるところは徹底的に切り詰める、そして使う時は思いっきり使うといったメリハリが徹底していた。いかにパンにチーズとサラミが彼らにとってはおにぎりみたいなものでも、それが3日3食続けば、さすがの日本人でも飽きると思うのだが、彼らにはそういった気持ちはないようだった。

また車で走り続けた。レンタカーは5日間しか借りていないので、翌日までにはサンチアゴに着かなければならないので、この日はある程度のところまで行っておかねばならない事情もあった。だが、またしても泊まる場所は決まっていないので、暗くなり始める前に適当な場所を探し始めたが、なかなか見つからなかった。というのも、サンチアゴに近づくにつれて、自然に囲まれた中を走るというようなことはなくなり、小さな集落と集落の間を通っていくという感じになり、そして車の往来も激しくなり始めていたので、側道で野宿をするというわけにもいかなかった。では小さな街とかでどこか安宿でも探せばよいものだが、あくまで彼らはテント生活にこだわるのであり、宿泊代などとんでもないといった雰囲気だった。結局、探しているうちにすっかり暗くなってしまい、ついに道も片側2車線の国道に入ってしまい、それこそ野宿どころではなくなってしまったが、しばらくすると標識が出ていた。そこにはサンチアゴまで70Kmと記されてあった。時刻はすでに9時をまわっていたが、当てもなく走っているよりはいっそのことサンチアゴに行ってしまった方が良いのではと提案した。ただし、サンチアゴに入ったらそれこそどこか宿に泊まらなければならないので、車を停めてユースホステルに電話してみた。運良く英語が話せる人が出て、レセプションは24時間開いていて、駐車場もあるとのことだった。これでテント生活ともおさらばだと喜びがわいてきた。
c0049109_23254242.jpg

ついにサンチアゴまでやってきた。それまで通ってきたところに較べると、やはり都会だった。ユースの場所はすぐに見つかった。サンチアゴのユースはドイツのそれと同じような造りのモダンな内装で、1階のコモンルームではCNN が流れていて、そこは世界各国から集まる旅人がリラックスしているいつものユースの雰囲気だった。前日まで続いていた静寂の中で眠るという贅沢はもうそこにはなく、あれほどまでテント生活から脱出したいと思っていたのに、いざそれが終わってしまうと名残惜しい感傷的な気分になった。本当に自分は天邪鬼だなと思った。
[PR]

by gonburimo | 2006-03-01 23:20 | South America 1998


<< サンチアゴ 二日目      コンセプシオン >>