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2006年 02月 19日

モンテビデオ

c0049109_22444760.jpgモンテビデオに行ってくることを言うと、同じ宿に泊まっていたほぼ全員から、何のためにとか、どうしてとか聞かれ、しまいにはやめといた方が良いとまで言われた。別に治安が悪いからやめろと忠告されているのではなく、本当に何もないからという理由からだった。逆にそう言われると、では自分の目でそれを確かめたくなるのが、旅人の常というやつで、メインのバックパックは宿に置いておき、小さなリュックで朝になって出かけた。ここからモンテビデオまでは、ラ・プラタ川 を渡って対岸ウルグアイコロニアまで行き、そこからバスに乗っていく方法を取った。港で出入国審査が同時に行われ、船に乗る前からパスポートにはウルグアイの入国スタンプが捺されていた。コロニアまでの高速フェリーは席に座っている客も疎らにもかかわらず、採算を度外視したかのように豪華な船で驚いたが、船内の案内表示板にアラビア文字が使われていたのを見て、アラブのどこかの国で使用されていたものを中古で使っているのではないかと思われた。しばらくして、船はゆっくりと動き出した。

いくら河口付近とはいえ、ラ・プラタ川 は海かと思えるほど幅が広く、対岸のコロニアまで高速フェリーでも1時間もかかるほどで、そういえばスペインアルヘシラスからモロッコタンジェまでジブラルタル海峡 を渡った時も、このくらい時間がかかったことを思い出した。コロニアの港ではバスが待機していて、そのまますぐに乗客のほとんどが乗り込んだ。これがウルグアイの景色かというほどの変化はなく、当然言葉も同じスペイン語なので、時々見える看板表示などもアルゼンチンと変わらない。もしかすると、お互いの国の人にはわかるのかもしれないが、アルゼンチン人ウルグアイ人の違いも自分には判別できなかった。そんな風景を眺めているうちに寝てしまい、気づいたらもうモンテビデオ市街に入っていた。バスが到着したトレスクルセスターミナル は、アメリカのモールを思わせるようなそれはモダンな建物だった。少し郊外にあるため、中心部までバスで向かった。

c0049109_2245095.jpgモンテビデオ7月18日大通り と呼ばれるメインストリート周辺が一番賑やかなので、その周辺でバスを降りた。通りはホテル・レストラン・商店と全てが揃っていてなかなかお洒落だった。途中にある>カガンチャ広場 にある観光案内所で市内地図を貰い、さらに進むと独立広場 に出た。この広場にある門をくぐった先から旧市街が始まった。確かにこれまで歩いてきた新市街はビルが立ちならぶ都会だったが、ここからは道も歩行者天国になり、建物の高さも急に低くなって雰囲気がガラっと変わった。旧市街の中心は憲法広場 というヨーロッパにあるような石畳の広場で、さっそく買った絵葉書を広場に面していたカフェに入って書き始めた。ブエノスアイレスもそうだったが、モンテビデオもどこかヨーロッパを思わせるような街並みで、それはスペイン・イタリア系90%を占める人口比率にも影響しているのかもしれなかった。さらに旧市街を進んでいったが、道が狭まり、人気が少なくなってきたのが気がかりだったが、警戒しながら歩いていくと、目指していた市場 が見えてきた。このラ・プラタ川 に面したモンテビデオ港 に隣接する100年以上の歴史を持つ市場 では、ウルグアイ名物のパリージャレストラン 、つまり焼肉屋が多く入っていて、煙が充満した市場内は食欲をそそる匂いが充満していた。カウンター席で簡単に食べられる店に入って、適当に注文するとお決まりの分厚い肉と山盛りのフライドポテトが出てきた。昼食兼夕食にして、もう食べられないというところまでむさぼるように食べた。膨らんだお腹を抱えて市場を出ると、目の前にラ・プラタ川 が広がっていた。宿でみんなが言うほど何もなくはなかったが、1泊するほどでもないモンテビデオだったので、その後にまた新市街まで戻って時間をつぶした後、この日の夜行バスでブエノスアイレスまで戻ることにした。
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by gonburimo | 2006-02-19 22:27 | South America 1998


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